今年の11月に発売された「世界一わかりやすいイカとタコの図鑑」は、一瞬にして私の心を虜にした。目次を眺めるだけで涎が垂れ、ページをめくるたびに胸が高鳴る。この気持ち、誰かに伝えたい。
ここでは、そんなイカ愛好家から見たこの本の魅力を紹介する。
イカ界(頭足類界)待望の新刊
何かの愛好家というものは、大抵「推し」に関する公式からの情報供給に飢えている場合が多い。例えばとあるアニメの主人公が好きなら、公式から提供されたプロフィールや画像から妄想を膨らませたり、それを元に二次創作をするなどの所業に身に覚えのある人もいるだろう。特にマイナージャンルは供給が少ないので、そういったジャンルの愛好家はわずかな情報も逃すまいと目を血走らせている(偏見)。
イカの場合、公式からの供給とはすなわちイカの専門家が出す論文や書籍である。イカは研究対象としては決してマイナーなものではないと思うが、愛好する一般人はまだ少ない。そのため素人でもわかりやすく正確なイカの情報源は限られており、研究者ではないイカ愛好家は常に新しい情報を求めてネットの海をさまよっているのである。
私もそんな愛好家のご多分に洩れず、イカ関連の日本語の書籍をかき集めたが、もうほとんど読み終わってしまった。もっと・・・もっとイカの情報が欲しい・・・。しかし新しい情報に触れるには、論文や英語文献に手を出すしかない(ちょっと面倒くさい)。そんなときに彗星のごとく現れたのがこの本、「世界一わかりやすいイカとタコの図鑑」なのだ。
ただの「図鑑」じゃない!頭足類を体系的に学べる
久しぶりの公式からの供給(日本語)に、イカ界は沸いた(たぶん)。しかしタイトルだけを見てちょっとがっかりした人もいるかもしれない。「図鑑」かぁ、と。イカの図鑑は「世界イカ類図鑑」、「世界で一番美しいイカとタコの図鑑」、「イカ・タコガイドブック」「イカ・タコ識別図鑑」など結構豊富にあるので、新情報への期待感でいうと少し下がる。しかしこの予想は見事に裏切られることになった。
私のイメージする図鑑とは、対象となるものを分類・同定するためのもので、各種類の写真が小さく並び、その横に少しの解説、という構成のページが主体のものである。ところが、「世界一わかりやすいイカとタコの図鑑」はまるで違う。頭足類の体の構造、進化の過程、生殖・発生・生息環境、行動・認知・知性、人類との関わりなど、ありとあらゆる知識を種類の垣根を越えて横断的にまとめあげているのだ。※注目すべき38種については、従来の図鑑スタイルでも紹介している。
正直、読み始める前はタコやオウムガイのページは飛ばしちゃおうかな、なんて思っていたがそれをさせない構成。イカもタコもオウムガイも別々のページにすることなく(しているところも一部あるけど)、テーマに沿ってそれぞれぞれの差異を説明しつつ流れるように解説してあるので、イカ以外の情報もすらすらと頭に入ってくる。近縁のタコやオウムガイについて知ることで、よりイカの輪郭がはっきりと浮かび上がってくることが分かった。「イカとタコってどう違うの?」というよく聞かれる質問にも、これを読んだ今なら自信をもって答えられる(はず)。
易しく、優しく、頭足類の世界へ
「世界一わかりやすい」という看板に偽りなし。私は大学までどっぷり文系、高校まではまじめに生物の授業をうけてきた程度の素人だが、豊富な図表と写真、丁寧な解説によって内容をだいたい理解することができた。
分かりやすさを追求するとどうしても正確さが疎かになったり、内容が薄くなったりしがちだけれど、この本はどちらも犠牲にすることなく、一般人をどっぷり深い頭足類の世界へなんなく連れて行ってくれる。専門用語はじゃんじゃん出てくるのだが、巻末に用語集がついているし、要所要所を調べながら十分読み進められる。
特に、初歩的な頭足類の知識は一通り知っているよ、という私くらいの人にはピッタリの難易度だと思う。全く知らなかった情報と、既に知っている情報を補う解説の分量バランスが丁度よく、ずっと新鮮な気持ちで読み進められる。自分の知的好奇心が、ガンガン満たされていくのを感じる。
200ページを超える一冊を読み切らせるのは、文体によるところも大きい。図鑑にありがちな無味乾燥な文章ではなく、執筆陣の頭足類愛がところどころに滲み出ていて、文章に体温が感じられる。まるで自分の子供を自慢する親のように、「頭足類はこんなにすごいんですよ」と語りかけてくる様が目に浮かぶようだ。
豪華すぎる著者たち
そもそもこの本の素晴らしさは、読む前から約束されていたのである。 だってだって、ロジャー・ハンロンだよ?マイク・ベッキオーネだよ?ルイーズ・オールコックだよ?頭足類研究で世界に名を馳せる方々が揃って著者欄に名を連ねている豪華な一冊。その上、監訳は池田譲先生ときた。著者欄だけ見てもこの本が「買い」であることがわかる。
Roger Hanlon 米ウッズホール海洋生物学研究所シニアサイエンティスト。米ブラウン大学生態学・進化生物学教授。頭足類の生物学・生態学の世界的権威。
Mike Vecchione スミソニアン・アメリカ自然史博物館研究員。頭足類の生活史、特に深海性の頭足類とその進化を専門とする。
Louise Allcock アイルランド国立大学の動物学部門リーダー。国際頭足類保護委員会の元会長で、タコの社会性と進化を専門に研究している。
(監訳)池田譲 琉球大学理学部教授。博士(水産学)。社会性とコミュニケーションを中心とした頭足類の行動学、養殖化を意図した頭足類の飼育学を研究している。
(訳)水野裕紀子 翻訳家。国際基督教大学卒業(理学科)。主に自然科学、環境の分野の翻訳を手がける。
先に英語版が出版されていたので海外文献を探していればいずれ出会った本だろうが、日本語版には池田譲先生の監訳メモという補足がついている分、お得だ。個人的には訳者の水野さんが自分と同じ大学というのもなんだか縁を感じてしまう。クレジットの中にはダイオウイカ研究で有名な窪寺恒己先生のお名前もある。
写真集として眺めても楽しい
この本の贅沢さは著者だけではない。なんと全ページフルカラー。それだけでも嬉しいのに、一流の水中写真家によって撮影された美しい頭足類の写真が150点以上も掲載されている。おそらくほとんど自然環境下で撮られた貴重なものだ。ただの文章の添え物ではなく、一枚一枚が作品として展覧会に飾られてもおかしくないような、目を見張る美しさなのだ。サイズも大きいので、写真集としてパラパラめくるだけでも心満たされる。
私は今のところダイバーではないので、自然の中で生きているイカの姿を見るには他人の力を借りるしかない。今はインターネットで素晴らしい動画が見られる時代ではある(最近だとトグロコウイカの生体動画とか)が、やっぱりこうして写真のプロが撮影した作品が与える感動はまた別物である。
頭足類好きはもちろん、他の生き物好きにも
少なくとも私のようにイカについて深く知りたいと思っているタイプの人間には、この本は好みの直球ドストライクだった。別に詳しいことは知らなくてもいいけど、見た目だけが好きなのよ~という人も、先に述べたように写真が美しいのでお勧めできる。
この本を読んでいて気づいたのだが、イカの情報だけを集めるよりも、近縁のタコやオウムガイについて知ったり、更には軟体動物、無脊椎動物、脊椎動物まで視野を広げることで、よりイカの特異性や魅力について発見できるのだ。だから頭足類以外が推しと言う人も、生き物が好きならこの本は読んでおいて損はないと思う。
最後に、この本を贈ってくださった出版社 化学同人の編集者の方にお礼を言いたい。このブログを見つけてくださって、こんなに素晴らしい本と出会わせてくれてありがとうございます。 一応言っておくが、頂いた本だから褒めているわけではない。この本を読めばわかるはず。頭足類への愛と敬意が詰まっている「世界一わかりやすいイカとタコの図鑑」を、私は全力でお勧めする。