中学生の時に夢で食べたシーフードカレーのことを未だに忘れられずにいる。
こんなことを言うと頭がおかしな人みたいだけど、事実だから仕方ない。 中学生の頃、夢の中でシーフードカレーを食べてそれがとても美味しかった、というだけなのだが、この出来事が忘れられないために、現実の生活に微妙な不自由を強いられている。
その夢を見てからというもの、「シーフードカレー」と聞くと、夢で食べたカレーをどうしても意識してしまうのだ。 外食のメニューに載っていても、夢のカレーが頭をよぎり、自分がシーフードカレーを食べたいのか食べたくないのかよくわからなくなってしまって結局注文できない。 付き合い上、何度か食べたことはあるが脳内で夢のカレーと味を比較しようとする自分がいて純粋に楽しめない。 ※ちなみに、そういう現象が起こるのは「欧風」シーフードカレーのみである。南インドとかそっちの方のカレーは中学生当時の私の知識とリンクしないので平気なようだ。
あの日、夢で食べたシーフードカレーが亡霊となって私の人生に付きまとっている。 このままでは死ぬまでシーフードカレーとぎこちない関係を続けていくことになってしまう。そんなの嫌だ。
夢で食べたカレーを自分で作ってみたら、なんとなく気持ちに区切りがつくのではないかと思ったので、やってみようと思う。 私の中のシーフードカレーを成仏させるために、まずは夢の内容を思い出してみる。
あの日の夢
友人3人と海に来ている。 3人とも現実には存在しない人である。 みな水着で、生ぬるい空気の中やることもなく会話もなく、波打ち際で木の枝なんかを海へ投げている。 空は暗く、重い雲が低く立ち込めていて、天変地異の予感がする。 早く帰りたい。 海へ入るのは苦手だし、そもそも自分がなぜこのメンバーに入っているのかよくわからない。
海の家の方から、おじさんの緊迫した声が聞こえてくる。 「大波が来るから、中へ入んなさーい!!」 遠くの海に目を遣ると、巨大な壁のようになった波、というより海そのものが不気味にうねりながらこちらへ向かってくるのが見える。 津波だ。
皆で急いで海の家へ駆けこむ。 海の家、と書いているが、実際には山小屋のような丸太小屋である。 砂浜に建っている丸太小屋。 逃げ込みながら、「ここ、波を防ぎきれるのかな」とぼんやり不安になる。 防げるわけがないのだが、夢なので思考が鈍化しているのだ。
おじさんは、この中ならまったく安全だ、とでもいうように緊張感の欠片もない顔でコーヒーを飲んでいる。 切りっぱなしの丸太椅子が、素肌にチクチクして気が散る。
ねぇなんか食べようよ、といかにも楽し気に友人が言う。津波が迫っているというのに何を言っているんだこいつは。 そう思いつつも「カレー800円 シーフードカレー1000円」という張り紙をみて、 友人たちは普通のカレーを、最後に私だけがシーフードカレーを注文した。 すると皆口々に、「やっぱり私もシーフード!」と注文を覆す。 200円も高いから迷ってたけど、本当はそっちが食べたかったんだ、と。
急に不安になってくる。 これでシーフードカレーが美味しくなかったらどうしよう。 具が小さくて生臭い冷凍シーフードミックスをレトルトカレーに適当に混ぜただけのやつが出てくるかもしれない。 私はたとえそれでも良いと思って選んだけれど、彼らはその覚悟があって選択を変えたのだろうか。 不味かったら私のせいにされるのではないか。
カレーの味が心配で、もういっそ津波でうやむやになってくれないかと窓を覗くと、もうすぐ近くに波の壁が来ている。 波のてっぺんは5階建ての建物くらいの高さがあり、海の家なんてひとたまりもないように思える。 明らかにカレー食ってる場合じゃない。
おじさんは全く動じずにカレーを運んでくる。 すごい!これはめちゃくちゃ美味しそうだ!冷凍のシーフードミックスではない、大きな海老とイカがたくさん使われたカレーが出てきた。 友人たちもテンションが上がっている。ほっと安堵するとともに、早くカレーを食べたい!と気持ちが焦る。 急いで口に運ぶと、食べたことのない美味しさ。なんだこれは。もっと食べたい。スプーンが止まらない。
ふと、気づいて窓の外を見ると、魚が泳いでいる。いつの間にか海の家は海の底にあった。
現実でカレーを作って食べる
夢は以上である。 実際に夢を見た日から実に20年近く、リピート再生しているので一部変質している部分があるかもしれないけれど、大まかにはこんな夢だった。
このカレーを再現調理していくわけだが、どんな風に美味しかったのかよくわからなくて困る。 当時、中学生の私の舌の感覚なんて「まずい、うまい、めちゃうまい」くらいのメモリしかなかったので当然夢でもそれ以上細かい感覚はないのだ。 とりあえず視覚的に覚えているトッピングを手掛かりに作っていく。
材料
- スルメイカ
- バナメイエビ
- アサリ
- 玉ねぎ
- 白ワイン
- 香草類
- カレールー
夢を脳内再生すると、わっかになったイカと、しっぽ付きの海老は入っているように見える。出汁要員としてアサリも入れることにした。 当時あまり野菜が好きではなかったので、具らしい具として野菜は入っていなかったのではないかと推測。 これらの材料を日曜の朝っぱらから開店直後のスーパーへ出向いて買ってきた。 有頭海老が欲しくてわざわざ店員さんに訊いたが、素っ気なく「そこら辺になければないです」と言われた。品出しで忙しいところごめんなさいね。 くだらない理由で料理をしようとしているという引け目があるので、自然と弱気になってしまう。 酸味を足すのにトマトを入れようと写真まで撮ったのに、見事に入れ忘れた。
各材料の下ごしらえをしていく。 アサリは砂抜きをしてよく洗う。洗ったら白ワインで酒蒸しにし、器に取り出しておく。汁も取っておく。
海老は殻をむき、背ワタを取り、片栗粉と塩で揉んで臭みを取る。洗ったらザルにあけておく。 殻から出汁が取れないかしらんと思って、殻も取っておき、カラカラになるまで炒めて煮出した。 下ごしらえの段階でかなり面倒くさいのに、なんで更にこんな面倒なことを思いついてしまったんだ。頭なしではさして出汁は出なかった。虚しさがつのる。
スルメイカはずるりと内臓を抜いて胴の中を良く洗い、輪切りにする。ゲソと肝は取っておいて、別の料理に使った。
海老とイカは塩コショウして炒め、器に取り置いておく。 自分で考えておいてなんだけど、別皿に食材を避難させておく工程多すぎ。面倒だが、すべてはあのカレーを再現するためだ。
玉ねぎは薄切りにしてまぁまぁ色づいてきたな、くらいで止めておく。 決してあめ色になるまで炒めるのが面倒だったからではない。甘味が出過ぎないようにという配慮。
炒めた玉ねぎに、アサリを蒸した時の汁と水を加え、香草(セロリとパセリとローリエ)をお茶パックに詰めて冷凍しておいたやつも投入して熱する。 夢の中のカレーは欧風な感じだったので、香草類もあったほうが良いかなと。それにしても具がなさ過ぎるけど大丈夫なの。(トマト忘れてる)
味見したところ、アサリ出汁が頑張ってくれたおかげで、うま味はある。このまま行こう。 いい香りがしてきたら香草パックを取り出し、ルーを適量加える。我が家ではフレーク状のルーを愛用している。量の調整が簡単で便利だ。 アサリはトッピング用にいくつか取り置いたら、残りは殻を捨て具をルーへ加える。食べる直前にちょっとカレー粉をプラス。
米は固めに炊いて、お椀で綺麗に形を作ってパセリをふる。 こういうお店っぽい盛り付けに憧れがあったから、夢に見たのかもしれない。 ルーを流し入れたら、海老、イカ、アサリを配置して出来上がりだ!
夢では丸い皿だったけれど家になかったので仕方ない。それを除けば、見た目の再現度はかなり高いと思う。 どう言ったところで、完成図は私の脳内にしかないので誰にもその差は分からないのだが。
自分で作ったカレーを食べるだけなのに、ちょっと緊張してしまう。 さのくに氏は出張で不在、この家には私とカレーだけ。あの日、夢で食べたカレーがここにあるのだ。
味は・・普通だ。極めて普通だ。 味見しながら作ったからなんとなく分かっていたけどさ。めちゃくちゃ美味しいわけでもまずいわけでもない、普通の家庭のカレー。 細かく言うと、ちょっと塩気が強いかな。その割にはぼんやりしてして、うま味も少ないように思う。やはりトマトは入れるべきだった。 海老とイカを炒めるときにもう少し工夫があってもよかったかも。
普通の料理として色々反省点を考えていると、ふとあの夢のカレーのうまさが何だったのか分かったような気がした。 あれはきっと安堵の味だ。夢の前半の不安、焦燥、不快な雰囲気から、美味しそうなカレーが運ばれてきて一気に気持ちが解放されたというそのシチュエーションが感じさせた美味しさだったのではないか。
それでもなんだか納得しきれないまま完食し、皿を片付けた。現実はそんなものだ。 私の旨くもまずくもないシーフードカレーの残りは小分けになって冷凍庫へ放り込まれた。
あの夢のカレーの供養になったかどうかよくわからないままだけれど、今度カレーを外食するときは、シーフードカレーを選んでみようと思う。