ソデイカ解剖会の誘い
12月のある日、日本いか連合メンバーのAAYAAさんから「ソデイカ解剖会に来ませんか」とのお誘いがあった。AAYAAさんと、デイリーポータルZなどでご活躍中のイカ好き、とりもちうずらさんが共同で購入したソデイカを、忘年会を兼ねて皆で解剖する会を開くいうのだ。そんなの行くっきゃない!部屋で一人喜びの雄叫びを上げた。
なぜ私がこんなに興奮しているか、そしてなぜAAYAAさんととりもちさんは「共同で」ソデイカを購入したのか……。その答えはソデイカの大きさにある。
ソデイカとは
ソデイカはアカイカ、タルイカとも呼ばれ、日本海から沖縄近海・小笠原諸島などでは漁が盛んなイカである。その外套長(腕を覗いた胴の部分の長さ)は成体で80cm、重さは20kg~30kgにもなる。食用としては最大級のイカなのだ。と聞くと何だか縁がなさそうに思えるが、実はその辺のスーパーにもよく柵が売っている。
ちなみにこのソデイカはダイオウイカの好物のようで、たまに漁で揚がってくるソデイカにダイオウイカが付いてきたというニュースが流れることがある。美味しいもんね、ソデイカ。
切り身や柵の状態であれば比較的簡単に出会うことができるイカだが、丸ごと一匹となるとそうはいかない。売っている場所が限られるし、お値段もそれなりにするし、家庭用冷凍庫の容量限界もある。それでAAYAAさんたちは共同購入に至ったのだと思われる(直接聞いてないけど)。今回のソデイカはとりもちさんが職場の冷凍庫に保存していたらしい。寛容な職場だ。なお、購入場所は兵庫県香美町だそうだ。
ワクワクが止まらない解剖
当日は、AAYAAさんがとある施設の調理室を借りておいてくださっていた。広い調理台で、ソデイカの解剖にぴったりだ。やがて現れたとりもちさんがソデイカを取り出すと、集まったイカ好きたちから歓声が上がった。サイズ的に成体ではないものの、それでも大きい。乳児くらいある。とりあえず赤子のように抱っこさせてもらったら幸福感がすごかった。
本当は解凍して持ってくる予定だったそうだが、大きすぎて冷蔵庫では全然溶けなかったらしい。現場で流水解凍した。
迫力のひし形ボディ
30分以上かけて解凍したソデイカを調理台に乗せると皆夢中で写真を撮り、各々のペースで各部を観察していく。K さんがスマホアプリで計測してくれたところによると、外套長(胴長)は約50cm。これでも十分大きいのに成体はこの二倍になるというのだから驚きだ。
胴に対して腕の長さはさほど長くない。ヒレを広げると格好いいひし形だ!この形から、英語ではDiamond Squidと呼ばれている。
ソデイカには「ソデ」がある!
それでは日本での呼び名「ソデイカ」とはどこから来たのだろうか。それは腕を観察すればわかる。こちらがソデイカの腕。よーくご覧ください。
気付いただろうか?ソデイカの腕には「ソデ」があるのだ!
ソデと呼んでいるのは保護膜。第Ⅲ腕に特別目立つソデがあるが、第Ⅰ腕、第Ⅱ腕にもわずかながらソデが付いている。吸盤と吸盤の間から白い筋(支持肉柱)が伸び、その間に膜が張っている。白い筋はコリコリとして結構固い。何のためにこの保護膜があるのか、サッと調べた感じでは分からなかった。どなたかご存じでしょうか。
腕は茹でるとわかりやすい
もっと腕をじっくり観察したいところであったが、時間も限られていたのでその場ではざっくりとした観察になった。代わりに、自宅に持ち帰って茹でた腕を観察したので写真を乗せておく。イカの腕は火を通すと構造が分かりやすくなるのだ。
適当に分けた腕を中身を見ずに持って帰ってきたのだが、左の腕が一揃い入っていたのは幸運だった。これで一本ずつ観察できる!(右第Ⅰ腕はオマケ)こんな贅沢セットを持って帰ってきてすみません。
イカの腕は背中側から腹側に向かってそれぞれ番号が付いている。一番背中側である第Ⅰ腕には外側に三角の泳膜が、内側に控えめな保護膜が付いていた。
第Ⅱ腕は第Ⅰ腕より若干長く、泳膜はないが保護膜はある。
一番立派な保護膜が付いているのは第Ⅲ腕。海中で袖を広げている写真を見たことがあるが、大変優雅な様子であった。生で見てみたいなぁ。
触腕は餌を獲るための特別な腕。先端にのみ吸盤がある。
現場で生の腕を観察していた際にAAYAAさんが気づいたことだが、ソデイカの触腕柄部(吸盤がないところ)にはぽつぽつと丸く出っ張っているところと、へこんでいるところがあるのだ。
これはダイオウイカにもある、例の固着器ではないか??と一同興奮。ダイオウイカの触腕柄部には似たような凹凸(固着器)があり、これがスナップボタンのような働きをして左右の触腕柄部をぴたりとくっつけ、獲物を狙うときに素早く触腕を打ち出せるようになっているのだ。
それとそっくりなものがソデイカあるということに気付いたAAYAAさんはダイオウイカ推し。流石だ。となると、ソデイカの狩りのスタイルはダイオウイカに似ているのだろうか。見てみたいぞ。
最後は第Ⅳ腕。これは触腕とは別の意味で特別な腕である。ソデイカの第Ⅳ腕は交接腕。交接腕とはオスにのみある腕(この個体はオスであることが開腹時にわかっている)で、精莢(精子が詰まったカプセル)をメスに受け渡すために他の腕とは形が異なる腕なのだ。例えばスルメイカの交接腕は、先端の吸盤が消失し代わりに肉の畝のようになっているという変化がみられる。
資料によれば、ソデイカの交接腕の特徴は「先端から基部に向かって全腕長の1/4付近のところから12~16の吸盤が退化して小さくなっている」とある。観察して確かめてみよう。かなり微妙だが、確かに一部吸盤が小さくなっていることが分かる。
こういうのは左右の腕を比べるとわかりやすい。生の状態の左右の第Ⅳ腕の比較写真がこちら(ややこしいのだが、右が左腕、左が右腕)。正直吸盤はよくわからないが、吸盤以外にも差がある感じがする。
また茹で写真に戻るが、私が捉えた交接腕の特徴は下記である。
・一部の吸盤の縮小化
・腕外側1箇所、内側2箇所にヒレ?膜?的なものがある
本当は茹でた状態の右第Ⅳ腕と比べたかったのだが、私は持っていないので、持ち帰った方は連絡ください!
漏斗
茹でた腕の話が長くなってしまったが、時間を解剖当時に戻そう。続いて漏斗の観察だ。
イカは胴の隙間から吸いこんだ海水をこの漏斗という筒状の器官から勢いよく吐き出すことで推進力を得ている。指三本くらい入りそうな漏斗。これだけ太いと勢いも凄いんだろうなぁ。
開いて漏斗弁を確認しているときに気付いたのだが、なぜか漏斗の背側の縁と漏斗弁の縁がギザギザになっていた。他のイカでは見たことがない。ギザギザがランダムな感じなので誰かに噛まれたのだろうか。それとも元々の形質なのか気になるところだ。
迫力の漏斗軟骨器・外套軟骨器
イカの漏斗の根元と外套膜はそれぞれ凹凸の軟骨がかみ合ってくっつけたり外したりすることができる仕組みになっている。この部分の形はイカの種類によって結構違うので、ひそかに私はこの形を取集している。ソデイカの軟骨器はめちゃめちゃ凹凸がはっきりしていてアガるぜ。
開腹
開腹の前に反省点を述べておくと、今回ほぼすべての解剖の工程を私がやってしまったということである。人様のイカにもかかわらず。ハンドルを持つと人格が変わるドライバーというのは聞いたことがあるが、ハサミを握ると人格が変わる解剖者が私なのだろう。はい。ごめんなさい。流れるように最後まで解剖してしまった。譲り合うべきでした。次は私が何かしらでかいイカを入手して、皆さんに解剖してもらいたいと思います。
ということでいよいよ開腹だ。身が厚いのでハサミを入れるとジョキィっとすごい音がする。ハサミが壊れやしないか少し心配。この開腹の儀は皆でかわりばんこでやりました。
お腹を開いただけのソデイカ。プラスチック製品みたいだ。以前解剖イベントのお客さんから「イカってお腹開いただけでこんなに綺麗なんですか」と驚かれたことがある。そうなのだ。だからあんまり解剖者のテクニックはいらないのです。
太い血管と循環器
最初に心臓やえらを取り出すことにした。手順的にはスルメイカを解剖するときと変わらない。
内臓を覆う膜を切っていて、血管の太さに驚く。ひやむぎよりも太い。スルメイカサイズでは観察が難しかった血管をはっきり見られて感動だ。
全貌はこちら。
生殖腺
まだ発達途上だったが、精巣、貯精嚢などが見られたのでオスであることが分かった。完全に成熟した個体を見てみたい。
今見ると管の中に少しだけ精莢が見える。取り出してみれば良かったな。
今回はオスだったが、メスの卵はショッキングピンクだというから一度生で見てみたいものだ。
iPhoneより大きな墨汁嚢
墨汁嚢が見当たらないなと思ったら大きすぎて逆に目に入っていないだけだった。これ肝臓じゃなくて墨汁嚢なのか。大きい。この銀色のところ、全部墨汁嚢ですよ。
スルメイカやヤリイカなどは細長い墨汁嚢がひょろりとついているだけなのだが、ソデイカのはやっぱり規格外。自分が持っていたiPhone12よりも大きかった。全部使えば子供用の簡易プールくらい簡単に真っ黒に染められそうだ。イカによって墨の色は微妙に違うので、その場で少し出してみれば良かったな。持って帰った人、色を教えてください。
消化器官
続いて消化器官。直腸から盲嚢、胃までひとつながりに取り出すことができた。ずっしりと重く、トレーに入れるのに二人がかり。ピンク色の盲嚢は、日本最大と言われる四国のアワマイマイの殻よりでかい(伝わらない)。
胃は生まれたての子犬サイズ。切り開くと小さなイカの欠片やカラストンビが出てきた。Kさんはカラストンビ(下顎板)から種を同定するためにこのカラストンビを持ち帰っていた。
パワフルな口球
ピンポン玉くらいある大きな口球。これで齧られたらひとたまりもない。海で抱きつかれたら恐怖だろうな。
口球を開いてカラストンビ(上顎板・下顎板)、歯舌を取り出したところ。
零れ落ちそうに潤む瞳
解剖する前から誰もが目を奪われたのがこの瞳。ソデイカは開眼目に分類され、水晶体が直接海水に触れるようになっている。
取り出した眼球は女性の手のひらにぴったりフィットするサイズ。そのせいか皆やたらと手に乗せる。かわいいね。
水晶体も透き通って美しい。宝箱に入れて保存したくなる。
平衡石採取成功
さて最後は平衡石だ。平衡石とはイカの耳石みたいなものである。私はこれを集めるのが趣味なのだが、取り出すのが難しいので気合を入れなおす。
平衡石が入っている頭の軟骨をメスでスライスしながら平衡石を探す。
発見!無事左右の平衡石を取り出すことができた。平衡石は1.4mmくらいのサイズ(多分)。平衡石のサイズの面白いところは体のサイズに必ずしも比例しないところ。例えばダイオウイカの平衡石はこれと同じかそれより小さいくらいである。不思議。ソデイカの平衡石サイズは大体アオリイカくらいだね~という全然伝わらない感想をキャッチしてくれたイカ友の頼もしさよ。
ソデイカを食べる
解剖はこれにて終了し、調理へ移行。AAYAAさんの提案により、ソデイカの軟甲に刺身を盛る。イカの甲は「舟」とも呼ばれるので、これで本当の舟盛りができるわけだ。天才!
ソデイカの舟盛り完成。これ以上ないほどねっとりした口当たりで、深いイカの味わいが素晴らしい。ソデイカの身は冷凍して寝かさないと味が出ないそうで、実際に寝かせていないソデイカのフライを食べたことがあるAAYAAさん曰く「全然噛み切れないほど固く美味しくない」とのこと。このソデイカは冷凍庫で1年ほど眠っていたので良い塩梅になっていたのだろう。
上記に加え、ヒレの醤油炒めをAAYAAさんが作ってくださったのだが良い写真がない。味はイカ味。食感が楽しかった。ここでソデイカイボウネン会(ソデイカ解剖忘年会)は解散。
いくらか身をと腕を持ち帰らせていただき、家でもソデイカ三昧だ。
ソデイカのパスタはかなりしっかりめに火を通したこともあり、ギュッと締まった食感。美味しい。
刺身は現場で作ったものより薄めに切ってみたらより良くなった。
腕は炒め物に。太さもあって、ゴリゴリとした食感で食べ応えがすごい。
冷凍庫にはまだソデイカが1柵残っている。次は天ぷらにしようかな。
終わりに
解剖後、時間が遅かったのでみんなで発見を交換し合う場がなかったのだけが残念だ。新年会やりましょうか。そしていつかばっちり成熟した個体を解剖してみたい。次はみんなで譲り合ってね。